テレビがつまらなくなったもう1つの理由 -視聴スタイルの変遷から考えてみる-

※2009/02に発表

先日行われたサッカー日本代表の試合(対バーレーン戦)は、テレビ中継が約11年ぶりにされなかったことでも話題を集めた。法外な放映権料を要求されたことなどが、テレビ中継が行われなかった理由らしい。テレビに替わって試合の模様をライブ中継したのがインターネットである(有料)。有料そして深夜のキックオフにもかかわらず視聴枠は売り切れたようで、中継にはさまざまな課題を残したものの今後のテレビの姿を考える上で示唆に富む試みだったと判断した。

テレビ視聴スタイルの変遷

そこで、テレビの視聴のあり方から捉えたこれからのテレビのあるべき姿について考えてみることにする。先に言っておこう。正直、ぼくはテレビが好きだ。ビジネスマンにもかかわらず、1日の結構な時間をテレビの前で過ごし、妻と一緒に就寝まで観ることもしばしばというかほとんど。一方、世間ではテレビ離れが深刻のようでテレビ局にとっては経営面で極めて厳しい局面に立たされていることが騒がれている。下図はこれまでのテレビの視聴スタイルの時代変遷である。

テレビの視聴スタイルの変遷

a.街頭テレビの時代

テレビの初期は、大勢が街頭で観て一緒に応援したりと喜怒哀楽を共有する(例えば力道山の試合など)スタイルがテレビ視聴の代表的なものだった。

b.一家に一台の時代

そして、テレビが三種の神器と呼ばれた頃に各家庭にテレビが普及しだし、一家に一台の時代がやってくることに。テレビは家族団欒の中心に位置すると同時に、番組放映翌日の学校での話題の中心にもなりテレビにとってのわが世の春でもあった。

c.個室に一台の時代

さらに時は進み、テレビが手軽に手に入る時代になったことによって一家から個室に一台の時代に。別々にテレビを観ることにより、テレビ局は多様なニーズに対応するための多彩なコンテンツを作る必要が生じた(一家に一台の時代は頑固オヤジがチャンネル権を握り巨人戦を観ていた)。視聴率も分散するようになり、それと同時にかつてのようなお化けのような視聴率を稼ぐ番組が減って行った。テレビを観ながらの会話はめっきり無くなり、各自が好きな番組を観られるようになったこともあって一家に一台時代に比べて番組の話題が挙がる機会も減ってしまった。


d.どこでもテレビの時代

時はさらに進み、90年代後半から一気に普及した携帯電話でもテレビが観られるようになり(ワンセグ)、かつてとは異なりどこでもテレビが観られるようになった。電車の中でも、ファミレスでも、観たいときに観る。ビデオが「時間の制約」を取っ払ったなら、ワンセグは「空間の制約」を取っ払ったと言えよう。

ワンセグを外で視聴する際にはイヤホンを着用することが一般的で、一人一台時代よりもさらにプライベート感が加速することに。番組を観ながらの会話はないばかりか喜怒哀楽が共有されることももはやなく、これらは専ら自己消化されることに(一部の人はインターネット上の掲示板(実況板)で共有している(ぼくも観ながらテレビを観ることも))。

テレビがつまらないワケ

ざっとテレビが上記のような変遷を辿っていることを示したが、昨今言われているテレビがつまらないといわれる理由の1つに「番組としてのコンテンツがつまらない」というのもあろうが、「テレビを観ている時間そのものがつまらない」も挙げられないだろうか。

a.Nintendo Wiiから

ゲームで例えよう。Nintendo Wiiが大ヒットしている。ヒットの要因は簡単に楽しめるソフトが充実していること、複数人数で楽しめるという点が挙げられる。 後者はまさに現在のテレビに欠けている点ではないだろうか。すなわち、ゲームを通じて互いに生まれるのと同じようなコミュニケーションがテレビを観ているシーンでは見られなくなった。

テレビを観ながら生まれる視聴者の喜怒哀楽は、番組が効果音として入れている笑い声や拍手などに誘導されて処理され、誰かと共有してコミュニケーションが生まれることは失われつつある。

b.サッカー日本代表の試合から

これからのテレビの視聴スタイル

話は冒頭に挙げた先日のインターネット上でのサッカー日本代表の試合へ。 この試みの特徴は、インターネットを通じて試合を観戦しながら、チャットで誰でもコメントをリアルタイムに投稿できたことである。 試合展開のみならず解説者の実況内容へのコメントなども盛り上がったようである。 一人一台やワンセグと同じように画面の前では1人であっても、画面の向こうにいる他の視聴者とはかつての街頭テレビのような関係が成り立っている。 リアルタイムで番組へ喜怒哀楽をぶつけ合い共有ができていると言える。

海外など遠隔地で行われるサッカー日本代表の試合を、国立競技場などでサポーターが集まって観戦するパブリックビューイングがひところ盛り上がった。 まさしくこれと同じようなことがこの前のサッカー日本代表の試合で起こったのである。ただ、サポーターが喜怒哀楽を共有したのはリアルな空間でではなく、インターネットというバーチャルな空間でであり、これまでのテレビ視聴の変遷に当てはめて「バーチャル街頭テレビの時代」と称したい(右図参照)。

個人主義の進展が過度に強調されているが、時代が変わろうと人々は誰かと気持ちを共有することに喜びを見出しているのである。

テレビが歩むべき方向性

これからの時代にテレビが経営上の苦境を乗り越えていくためにはこれまでテレビに対して視聴者は基本的に受身であるという認識を改めなければならない。デジタル放送ではリアルタイムにアンケートを行うなどの試みが行われているが、未だに大半は携帯電話などのインターフェイスを通じて情報を収集している状況にある。デジタル放送用のリモコンを用いたものであっても、予めテレビ局が設定した選択肢を視聴者が選択するという仕組みとなっている。

先の試合のように視聴者が自由に意思表示することはないところに大きな違いがある。テレビが新たなステージ―インターネットがテレビに対して有している双方向性という優位性―へ進出するのであれば、視聴者の自由な意思表示を実現するためのインターフェイスの充実に取り組むべきである。メーカーなど多くを巻き込んだ壮大な取り組みであり、実現に向けての課題は相当なものであることが容易に想像できる。番組を制作・提供するテレビ局が生き残りを図ろうとするのであれば、中心に立って取り組んでみてはと思わずにはいられない。

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