さらば、リー・クアンユー

シンガポールの建国の父・リー・クアンユーが亡くなった。

Lee Kuan Yew

父の仕事の都合でシンガポールに7歳-15歳(1983-1991年)の間暮らしていたぼくからすると、彼の死は歴代の日本の総理が亡くなったときよりもどこか大きなインパクトを残すできごとだ。
ぼくが初めて訪れた外国であるシンガポール。
ぼくの人格形成に大きな影響を与えたシンガポール。
その国を、マレーシアからの分離独立という形でシンガポールを独立に導いたのがリー・クアンユーだ。

彼の進めた政策には賛否両論あるだろう。
一党独裁が長く続き、近年では政治デモが行われるように綻びも見え隠れする。
「明るい北朝鮮」という呼び名がシンガポールの実情をわかりやすく表現しており、直近のWorld Press Freedom Index 2015では報道の自由度が世界153位という先進国とは言えないガッチガチの言論統制が敷かれている(ちなみに日本は61位)。

聞くところによると、リー・クアンユーは日本の戦後の成長を大いに参考にして国家成長戦略を立て実行した。
だからか、来日して講演する機会も少なくなかった。

今、日本を教材に成長したシンガポールを教材に日本(国家サイズから知事のほうが良いか)は成長戦略を立て、シンガポールを追い抜いて改めて彼らの教材となることが、リー・クアンユーに報いることなのかもしれない。

リー・クアンユーが亡きシンガポールが、今後どのような航海の旅に出るのか、注視していきたい。

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