君は握手を疎かにしていないか?


今日、自宅近所を歩いている時、人混みの中を黄色いランニングウェアに実を包んだ高校時代の部活の仲間(1つ上)を見つけ、声をかけた。

彼は競争の激しい外資系金融機関でトップを務めるほど、ビジネスマンとしての成功の階段の最上段に位置している。

声をかけ、彼にぼくの家族を紹介し、彼はぼくに右手を出してきた。
さすが外資系金融機関でトップを努めているだけあって、握手をする習慣が身についているのだろう(日系企業勤務であれば、握手を求めてくるのは年配者くらいのような)。

彼の握手は、そうあの彼の握手を思い出させた。

ぼくがフリーで仕事をしている時に父の仕事を掛け持ちでしてたときにであった、シンガポールの大企業のトップである故Nelsonのものと同じ感触だ。
掌の厚み、握る強さ、そして握る時間。

トップに上り詰めるビジネスマンの握手には共通点があるのではないだろうか。
もしあるのであれば、そして君がビジネスで成功したいのであれば握手を大切にしてみるのも1つかもしれないだろう。

さて、ぼくの握手は相手にどのように伝わってるんだろうか。


駅のエレベーター案内の改善をお願い!


普段ぼくが利用する鉄道というとJRと東京メトロのみで、あくまでもそれらのみを利用して気づいたエレベーターについて。
このところ、個人的な事情からエレベーターを利用する機会が非常に多い。
ホームや改札脇などの構内案内板には下の写真のようにホームと出口をエレベーターを介して結ぶ直線が表示されている(見えにくい?)。
guide
これはすごく親切だと評価できる(以前、ホームから出口までエレベーターを使って移動する際にガイドするアプリを作りたいなぁと思ったことアリ)サービスだけどが、これには1点欠点が。
それは、案内板を発見しなければどのようにルートを取れば良いかがわからないこと。
さらに、途中で「あれ?どう行けばいいんだっけ?」というように困ったら再び案内板があるところに戻るか探すしかない。
これって便利なようでまだまだ改善の余地があるのでは?
だからぼくはこの手の案内アプリがあればと思ったわけだ。
けれどもアプリにするとアプリを利用できないエレベーターのメインユーザーであるお年寄りには全く優しくない。
だったら、ホームからエレベーターを使って出口まで出るまでは床に赤などの直線で結んであげたらいいのに。
例えば、下の写真のようなホームに、更に下の写真のように赤線を引いて誘導してあげるだけでお年寄りやベビーカーを使うお母さん、けが人とかも大助かり。
これなら迷いようがない。
platform
platform
なんでもかんでもIT化すれば良いというわけでなく、アナログに線を引くくらいならちゃっちゃとできるのでは?
ぜひ、鉄道各社の皆さんこの案を採用してくださいネ(採用であればご一報を!)。
ちなみに、今日も九段下駅(この駅のエレベーターは乗り継ぎが多く(3回乗らないとホームから出口まで到達しない!)てややこしい!)でおじいさんをエレベーターまで案内してあげた。
あと、論点がズレるけど健常者などはエレベーターの利用を避けよう!
この人達がエスカレーターを利用してくれたら、車いすの人とかエレベーターを必要とする人がたくさん待たなければならないというのも解消されるので。


振込手数料は発注者負担?受注者負担?


お仕事をさせてもらった後、楽しみに待つのが入金。
振込入金してもらう際に発生する振込手数料は受注者(=客)負担とさせてもらっている(請求書にも明記)けれど、
中には請求書をじっくり読まずに振込手数料を受注者負担として扱い、請求額から振込手数料を差し引いた金額を入金するお客もいる。
といっても「振込手数料を勝手に引かないで!」というのもなんだかな感じがするわけで、このモヤモヤ感はなんだろうという気分だ。
個人的には「次回も発注お待ちしております!」と言うしかないか。
ところで、とある大手企業では手形での支払いだったりとか、とある自治体のお仕事をさせてもらったときなんて入金は年度末明け(4月に仕事が完了しても入金は翌年4月以降!)というのがあったりと、入金に関するきちんとした世の中のルールはないのが実情だ。
しっかりしたルールを事前に取り決めて仕事を進めるのが理想だけど、弱小企業としてはこの曖昧な入金の手続きを切り出してきちんと合意を形成してからお仕事を進めるのは時として難しい場合もあり、したがって、業界できちんとしたコンセンサスが形成できたら中小企業のオヤジの苦労軽減や黒字倒産の回避などができるのになぁというのが、今月末の入金を確認して抱いた感想でした。
仕事求む!


映画「ページ・ワン:ニューヨーク・タイムズ」を観て、諸々を考える


開催中の恵比寿映像祭で、アジア初公開と謳われている映画「ページ・ワン:ニューヨーク・タイムズ」を観た。
簡単なあらすじは下記の通り。

blog、twitterなどネットメディアの台頭により従来築いていたメディアとしての地位がゆらぎ発行部数の縮小にも見舞われる紙メディア。
舞台はアメリカの中で最も権威ある新聞ともされるNY Times。
そのNY Timesにもネットメディアの脅威が迫り、彼らも人員削減などを行いながら残されたメンバーは「ジャーナリスト」としての誇りを胸にペンを奮う(正確にはキーボードを叩く)。
果たして彼らに光明は。

アメリカはもとより、世界中で旧来メディアの地位が揺らいでいる。
新聞社は潰れ、ケーブルテレビは潰れ、雑誌は廃刊に追いやられている。
そして、これらの衰退を尻目に伸びているのが新興メディアと称されるネットメディアだ。
ネットメディアを牽引しているのがtwitter、facebook、wikileaksなどだ。
Googleなどのポータルサイト(Googleをポータルサイトに分類するかの議論はおいといて)もニュースを配信している点では旧来メディアの脅威として立ちはだかっている(実際に、作品の中では公聴会のシーンが流れたりして、旧来メディアの対抗軸として描かれていた)。
ネットメディアの台頭により変わったことは、ニュースに即時性がさらに高まったこと。
「瞬時」とも言えるほどの勢いだ。
そして、無料で情報は手に入ると受け手が思うようになったこと。
最後に、拝金主義とも言える姿勢で、「読者が読みたいものを与えることで儲けることが善」という価値観で情報を流すメディアも目立ってきた。
ところで、旧来メディアはビジネスとしてこれから成り立つのだろうか。
テレビは、ラジオは、雑誌は?
中でも新聞が最も厳しい位置に立たされるのではないだろうか。
即時性ではネットには叶わない。
twitterの拡散性は目を見張るほどだ。
twitterなどで頻繁に話題に上がっていることをネットメディアが紹介し、それを紙の新聞が後追いするカタチだ。
時間があるので裏取りはできるだろう。
しかし、新聞が裏取りを完全にできる保証はない(作品中でのイラクの大量破壊兵器の話みたいに)わけで、であれば新聞の価値とはいったいどこにあるのだろうか。
テレビ、ラジオ、雑誌は「まだ」新聞よりは自らの立ち位置を築きやすい(時間の問題ではあるけれど)。
ちなみに、ぼくは新聞を購読していない。
普段の情報元はもっぱらネットだ。
情報を無料で入手することができるからだ。
そして、もう一つ、新聞の記事の質に疑問を持っているからだ。
これまでにいくつか取材を受けた経験があるが、所詮は記者のフィルターを通過した(理解できた)内容しか掲載されないわけで、こちらの真意が記事に反映されないこともあったからだ。
確かに、限られた人数で同時並行的に複数のジャンルにまたがるテーマを取材し記事に起こすのは、極めて高度な能力を備えていないと難しい。
でも、取材を受けたことにより得たなんとも言えないモヤモヤ感は未だに晴れていない。
ネットでその筋の専門家のサイトを覗くほうが質の高い記事を見ることができるし、ネットの一次情報のほうが信頼性が高いときすらあるのだから、ネットを優先したくなる気にもなってしまう。
ただ、紙の新聞にも良い点はある。
例えば、時々目にすると、思いがけない記事に遭遇することなど。
ネットであれば意識的に選別したニュースしか目に入ってこないが、紙の新聞のページを1面から最終面までめくる間に、前日に起こった出来事が経済から社会までひと通り舐めるように把握できる。
であれば、紙の新聞の価値を「情報との偶然の出会いを実現する場」に見出すことができるのではないだろうか?
でも、それは新聞よりは発行間隔の開く雑誌にも期待出来るわけで、結局新聞の存在意義とは?という疑問に戻ってしまう。
個人が「情報はタダで入手できるもの」と認識してしまった以上(この意識を戻すのは限りなく不可能)、メディアが頼るのは広告収入だけとなるのは、メディアとしての中立性を保てない(広告主のご機嫌を損なうような記事はダ出せない)危険性が高まり、結果的にメディアに対する信頼性を損なう結果となってしまう虞れが高い。
メディアは今後どのようなビジネスモデルを築いて生き残っていくのか。
公権力のチェック機関としてメディアが存在するのであれば、公的なメディアは矛盾してしまうわけで、極端なハナシ、政府のプロパガンダ機関と成り下がってしまう可能性すらある。
とはいっても独立した営利企業として立ち行かなくなってしまっていることも事実であるわけで、グレーが成り立つものでもないのだから、このハナシは社会でメディアが果たす役割はなんなのか?というところに至ってしまう。
ぼくたちは情報とこれからどのように関わっていくのか、情報の信頼性はどのように保たれていくのか、向き合っていく必要性は情報が世の中に溢れかえっている時代だからこそ見つめ直すべきことだと思う。

※オマケ


メディアからの取材のあり方について再考


今日、仕事に絡む取材依頼が来た。
ビジネスマンであれば誰でも知ってるビジネス誌からだ。
「○○について取材させていただきたく、お願い可能な日時をご教示ちょうだいね」という内容のメールが届いた。
で、早速取材対応可能な日時を記載し、「協力するけどフィーは貰うよ」と記して返信。
すると、「謝礼は払わないことになっているのでなかったことにしてね」と返ってきた。
ラジオ、テレビは取材について謝礼を払うのに、なんで新聞、雑誌って取材の謝礼を払わないんだろう。
これっていつも。
納得できる理由があるなら教えて欲しい。
そもそも別にこちらは取材されなくてもいいし、
無料でコメントを提供する筋合いはないと思ってる。
謝礼を払うラジオ・テレビからすれば不公平だ。
ところで、ぼくの好きなエピソードにこんなのがある。

“カフェで“ピカソ”を見つけた婦人が、私をスケッチしてくださる?と頼んでみた。
“ピカソは快諾し、サラサラと絵を描き上げた。婦人はピカソ”に、いくらで絵を譲ってくれるか聞いた。
5000フラン、と“ピカソ”は答えた。「5000フラン! …たった3分かかっただけで?」という婦人に向かって、
“「いいえ」“ピカソ”は言った。「私はここまで来るのに一生を費やしたのです」”

ま、これとおんなじ感じのが取材にも当てはまるわけで、
こっちはそれなりの知見を得るためにそれ相応の時間を割いたわけであって、
それに対して無料でハナシを聴いて、
さらにそのハナシを元に(読者から)金を取ろうというのは都合がいい。
著作権だのと権利を主張するのであれば、
同様に他社の権利への尊重はするのが筋というもの。
「新聞・雑誌は名前が出て宣伝してやるんだ」という姿勢であれば、
それは大きな勘違いだ。
だって、新聞・雑誌に載ったところで、
取材に協力したこちらには宣伝効果はほぼ皆無というこれまでの経験が蓄積されているんだから
(よっぽどマイナーなウェブでリンクを貼ってもらうほうがマシ)。
あまり「金、金」と言うのも窮屈だけど、一方で仕事である以上けじめも必要と思うわけで、
取材や相談に対するあり方については引き続き大切に考えていきたいし、社会にも考えてもらいたい。


オーナー会社の社員にありがちな点


先日、とあるオーナー会社に企画を紹介した。
そして返って来たのが「弊社のオーナーはこういうの関心ありませんから」というもの。
明らかに「主語」がおかしい。
「オーナー」が主語とはオーナーの顔色をうかがいすぎでは?
自分が社長だったらどうするかという意識を持って業務に取り組むのは大切な心がけだけど、今回のはちょっと違うような。
もし自分が社長だったとして回答しても「弊社の戦略にそぐわない」と回答するもんだと思うんだがどうだろう。
ちなみに、「オーナーの顔色を伺っているようじゃ業績は芳しくないのでは?」と感じ同社の業績を調べてみたところ、右肩上がりの成長を示しているわけで、オーナーが優秀であれば上記担当者のような回答も×でないものの、オーナーが無能であったときには背筋が凍ってしまいそう。


次世代三種の神器はなに?


次世代三種の神器はなにか?というのを中島聡さんが投げかけている。
まず、時代別の三種の神器は何か?と疑問を抱き、wikiで調べてみた。

○1950年代後半
  白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫
○高度成長期(1960年代半ば)
  カラーテレビ・クーラー・自動車
○冷戦後
デジタル三種の神器
  デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビ
キッチン三種の神器
  食器洗い機・IHクッキングヒーター・生ゴミ処理機
下流社会の三種の神器
  パソコン・携帯電話・プレイステーション

時代を経るごとに消費者に与える「憧れ感」と「必要度」が薄れてきているような。
洗濯機とか冷蔵庫は生活していくうえで必要で、だからこそ消費を喚起できたけど、近年のDVDレコーダーやプレイステーションなんて別にあってもなくてもどうでもいいし、買おうと思えばたいていの人は買える金額設定のもの。
ローンを組んでまで買うというのは少ないだろう。
そこで、三種の神器として何がやってくる?と考えるにあたって、次のような条件を設定してみた。
条件設定しないと、ぼくの場合は「どこでもドア」などドラえもんのポケットの中身みたいになりそうなので。
条件1:社会の流れから必要度が見込まれるもの
条件2:多少の努力を払わないと購入できない金額であること(現金一括では買えないくらい)
条件3:既存技術の範囲で考えられうるもの
条件4:家電・情報機器などに限定しないこと(限定してしまうと個人的にアイデアを3つも挙げられない!)
上記条件から浮かんだのが下記の三種。
★介護ロボット
外国人看護婦や介護ストレスなど色々と課題の多い医療・介護業界にオススメ。
自宅に介護ロボットがいて世話をしてくれるのであれば、在宅医療はさらに浸透するかも?
★完全オートクルーズ対応自動車
ナイトライダーなみの車が登場すれば、枯葉マークのドライバーでも安心。
間違ってもアクセルとブレーキの踏み間違いは起こらないはず。
★パワースーツ
筋力低下や関節の問題などを抱えた人でも着ることで、健常者同様の動きが実現。
着ていることがばれないくらいの薄さが欲しい。
いずれも高齢化社会に対応し、かつ人工知能を備えた製品。
平均寿命が伸びる中で、いかに人が安全で楽しく暮らせるかという視点も混ぜて挙げてみた。
中島さんのブログにコメントを書き込んでいる人とはちょっとテイストが違うけど、ま、ぼくが考えるのはこんなところで。


広告業界、曲がり角を曲がりきれるか?


広告業界の元気がどんどんなくなっていっている。
電通が先に発表したデータによると、ネット広告が新聞広告を上回る成長を見せたものの、4媒体と呼ばれるテレビなどの広告媒体の売上規模が軒並み2桁ダウンを記録するという大変な状況。
先日、とある広告代理店の人と話をさせてもらったら、昨今の広告ダンピングは極めて遺憾とのこと。
ま、そりゃそうだ。
一度下げた値段を再度上げるのはすごくしんどい。
値上げ交渉にスポンサーが納得してくれるのか?
ただでさえ広告効果が下がっているのに、元の価格水準に戻して欲しいといっても「あ、いいですよ」というお人よしなクライアントなんていないだろう。
だからこそ、単に媒体を売ることだけでなく、それに何らかの付加価値を加えたビジネスをどんどん創出していかなければかつてのような売上には戻らない。
ならば広告代理店の人材構成にも着手せざるを得なくなる。
もはや、スポンサーのご用聴きのような営業担当者は求められない。
経営課題に切り込んだ提案を行えるような営業担当者でないと。
どの業界も曲がり角に来ているようで、この曲がり角においてシナリオを描ける人材こそ、今の産業界で求められているはずだ。
昨年リリースした広告業界に関するレポート
広告業界の衰退を景気悪化のせいにして良いのか?-データから今後のヒントを探ってみる-
※今日はblogのエントリーをがんばる予定


「住」産業の輸出強化が日本の生きる道?


主な日本の輸出産業といえば、自動車、家電など。
近代社会の発展の中で世界の先頭を走ってきたこれら産業は、今では韓国や中国、インドなどのメーカーの追い上げに遭い、かつての優位性は見る影もなくなってしまった。
品質で勝負をしてきたトヨタですらその地位は昨今の出来事によって揺らいでしまっている。
これら産業はもはや、新興国の価格競争力には太刀打ちできず、既に言われている通り多くが撤退に追いやられるか新たな競争の軸を構築するしか生き残る道は残されていないだろう。
とはいっても、輸出によって経済を保ってきた日本が今後も国内の経済を安定させるためには何かを売り出していくことも必要なわけで、近年ではアニメやゲームなどが注目されてきたものの、これらも自動車など同様に世界との差が縮められるようになってきている。
そうした中でこのところ海外に活路を見出しているのが、飲食業界。
特にアジアへの進出は積極的で、居酒屋やらーめんチェーン、丼チェーンなどが積極的に進出している。
もう1つが業界でなく企業単位ではあるけど、ユニクロ。
衣服については国内で向かうところ敵ナシの快進撃を続ける企業だ。
一度失敗した海外進出を再度加速させていて、パリ店のオープンも盛況だったとか。
「食」「衣」と来て次に続くのが「住」と言いたいところだけど、残念ながら建築・土木の海外進出は積極的だけど、ぼくの知るところではハウスメーカーの海外進出は話題になるほどではない。
昨今の世界で頻発する地震情報を見ると、地震大国の日本のハウスメーカーこそ海外進出してその独自のノウハウを活かして現地の人々に安心を与えられたらと思うと同時に、積み上げてきたノウハウには他国がそう簡単に追いつけない強みがあるのでは?と思わずにはいられない。
ハウスメーカーの海外進出状況などは全く調べていないが、「衣」「食」「住」という並びで考えてみたところ「住」についてはまだまだ掘り起こす余地があるのでは?と思ってふと書いてみた。
マズローのいうところの「自己実現欲求」はそろそろ飽和状態に来て、さらに上の欲求ではなく下位の欲求「安全欲求」など刺激するサービスが求められているのかも?とも思うように。
あまり整理できていないけれど、メモとして残しておきたいと考えエントリしておく。
人間の欲求の方向性がどこに向かっているかに合わせた商品開発、日本の輸出産業の方向性など色々なテーマを含んでいるので、引き続き検討していきたい。