神田明神へ初詣 – 会社で初詣しました?


先ほど、神田明神へ行ってきた。
朝早くの参拝だったため、例年と比べて(例年は昼前に参拝)並ぶことはほとんどなくスムーズだった。
今年の弊社の大きな目標をお願いしてきた。
ふと思ったけれども、
多くの人はどのようなことをお願いしているのだろうか。
「売上・利益増大をお願いします!」なのか、
「○○事業を△△までに□□を実現したいのでお願いします!」。
どうも前者をしている人が多いのでは(あくまでも個人的な勘)?
ぼくも去年までは前者でした。
別に前者が悪いとかそういうわけでないけど、
でも後者のほうがビジネスの観点からは望ましいと思う。
というのも、具体的なコトをお願いするということは、
既に頭の中で今年の計画ができているということであり、
それを心のなかで言葉にすることで
より決意が固まる効果が見込めそうだから。
自己啓発の本などでは具体的な目標を設定することが大切だと頻繁に書かれているが、
まさに具体的な目標を設定するだけでなく実際に心の中で反芻することが初詣・参拝する意義なのでは?
これから参拝予定の人。
今年の具体的な目標を設定してから足を運んでみてはいかが?
ちなみに、神田明神のワキにステージを用意して、
今年の目標を大声で発表するような仕掛けはどうだろう。
ある人が「○○事業を△△までに□□を実現したいのでお願いします!」と大声でお願いしたら、
それを聴いていた人が「お、いいですね。タイアップしましょう」というように、
ビジネスの出会いを新年で気持ちが昂っている場で実現できたら面白そうだと思うが
僕をはじめ多くの人はシャイなのでなかなか難しい?
ところで、弊社の今年の目標ですか?
上で具体的な設定をしよう!と言っている割には曖昧さが残りますが、
○昨年から手がけているコンサルティング案件を成功させて長期的なリピートを獲得すること
八起.infoおよびいるみるの収益化を早期に図ること
が大きなところ。
その他細々としたモノもありますが、そちらは割愛で。


慶應イノベーティブデザインスクール「世界を変える新規事業・起業のためのコンセプトビジュアライゼーション」に通ってみた(第3回)


講座に通うようになってから初めての晴天。
日吉の駅に降り立って大勢の賑わいにびっくり。
どうやら連合三田会なるものが日吉校舎で開催されるとのこと。
慶応を卒業した身にもかかわらず、「連合三田会ってなんですか?」状態のぼくは教室へ。
いつもの教室と異なり、この日はLL教室のような作りで、グループワークをするにはかなり窮屈だった。
さて、内容はというとこれまでと変わらず中身の濃いもの。
ただ、展開が早いために受講生の理解が不十分なままグループワークに入るので、
課題に対する理解・アプローチが揃わずにチグハグになってしまってチームとして課題を仕上げることが難しいのが、
短期講座の欠点か(とはいえ、グループワークは面白いのは確か)。
この欠点は各人が帰宅後や職場などで自分に置き換えて再度やってみるということでフォローするしかないか。
とはいえ、1,2年も通学してみっちり学ぶというのもぼくの立場では違うような印象も。
授業の内容はここまでで、
通ってみて面白いなと思ったことを1点。
グループワークに際して各人が自由に呼んで欲しい名前を自分で付けるんだけど、
大きく分けて3つのタイプに分かれる上になんとなくそれぞれで性格の違いが見えることを発見
(どの呼び名がどんな性格なのかは割愛)。
1.本名のまま(a.苗字、b.名)
2.本名を崩したもの(「○○ポン」や「△△りん」など)
3.まったく関係のない名前(勝手に外人の名前など)
Facebookの写真で自分の顔写真なのか、子供のものなのか、全く赤の他人のものなのかでなんとなく違うってのと、
どことなく似てるのでは?


慶應イノベーティブデザインスクール「世界を変える新規事業・起業のためのコンセプトビジュアライゼーション」に通ってみた(第2回)


先週に引き続き通学。
体調が優れなかったものの、「出席で得られる価値」>「欠席して体を休ませる価値」と判断し、日吉まで電車に揺られて足を運んだ(結果的に月曜日は風邪で一日中ダウン)。
先週、校舎やひようらの散策をしようと宣言していたものの、体調の問題などもあり割愛(来週こそは!)。
さて、内容。
与えられたお題を各テーブル毎にチームとして取り組むというのは前回同様。
「○○が世界を変える」というお題について、
○○をチームで決定し、そのメインターゲットやそのターゲットに与える価値などについてディスカッションを通じて決めていき、
最終的には1枚の紙にチームでアウトプットを作って発表するのが大きな流れだった。
「○○」の部分などは各人の意識の範囲がすごく反映されるものだった。
普段、仕事にどっぷりのような人は仕事で扱っている商品かそれに関連するものばかりが挙がったり。
かくいうぼくは、変なモノばかりを挙げて、協調性に駆けるようで多少浮いていた(ありきたりなもの挙げて世界が変わると思わないんでね)。
「○○」の部分で妥協してしまうとその後の話しはつまらないし、事業としてはデカくならない。
なので、実際のビジネスで「○○」を摺り合わせるのはどうかなぁという印象。
むしろ、有無を言わせぬヤツが「○○」を決めて、それに合わせて優秀な人材が調査・肉付けしていくのが、
ビジネスで成功するのに理想的な流れなんじゃないかなぁ。
そういう点で、やっていることは大企業での新規事業の立ち上げみたいなものであって、
ベンチャーのような感じはしないかも。
メンバー同士が平等かつ初対面のメンバーが課題に取り組むことの難しさを今回も痛感。
一応、リーダー(一番早起きの人!)を決めたものの、ぼくらのチームは機能しなかった…。
どこまで引っ張るべきか、どこは抑えるべきかなど日本人らしい「空気を読む」という能力が発揮された分、
個人的にはどうも消化不良なセッションだった。
さて、今回のチームにも現役大学生がいた。
すごく意識が高く、学生時代は大して何も考えていなかったぼくにとっては頭が下がる。
でも、せっかく日曜日の朝っぱらから参加しているのだから、メールをしてるのかなんだかわからないけど携帯電話と睨めっこ(しかめっ面)しながらディスカッションに参加するのかしないのかわからないような姿勢なのは褒められないわなぁ。
一方、発表で優勝したチームは全員が若いメンバーで構成されていた。
若者は課題に対して回答を「置きに行く」わけじゃないのが面白い。
来週は若いメンバーの多いテーブルに加わり、どのような考え方をするのか探ってみるのも面白いかも。
残りあと2回。
次回こそは校舎散策をば!
SDM


慶應イノベーティブデザインスクール「世界を変える新規事業・起業のためのコンセプトビジュアライゼーション」に通ってみた


タイトルの通り、第2回慶應イノベーティブデザインスクール「世界を変える新規事業・起業のためのコンセプトビジュアライゼーション」に今日から通いはじめた(10月の毎日曜日開催予定)。
「参加してみて良かった。」というのが、初日を終えた今の感想。
初日でこんな感想を出すのは時期尚早だけど、まずはということで。
学びたいという意欲が珍しく湧いたこと、受講料が安いこと、そして普段は1人で仕事を進めるぼくにとって利害のない環境で意見を交換できそうな場だろうなという期待などから通うことにした。
日曜日の午前中で天候が悪く、おまけに三田でなく日吉にもかかわらず多くの人が参加した。
さて、今日の3時間のコースは、同じテーブルに座った7人1組でグループワークをするのがおおまかな流れ。
年齢も性別も立場も異なるメンバーが与えられた課題について思いついたことを口から発する。
ブレーンストーミングの大原則の「否定をしない」を守り、そしてチームを盛り上げるために「いいね!」が飛び交う。
ブレーンストーミングをしてチームでモノを作り上げていくには、チームを舵取りする役目が1人いたほうがいいかなという印象を持った。
これは今日に限らず、普段の中でも強く抱く印象。
ぼくたちのチームのメンバーには遠慮があったためか舵取りが機能せず、最後の寸劇ではぼくたちの成果を制限時間内で発表できずボロボロな結果に終わってしまった。
でも、そこそこいい寸劇ができていたら舵取りの重要性には気づけなかったので、結果OKで。
ところで、コースの冒頭は7人が順番に自己紹介をした。
自己紹介は時計回りですることと自己紹介をしている人の左隣の人がメモをすることが言い渡された。
これって次に話す人がメモをするってことで、次に話す人が自分の話す内容を考えてしまわないよう話に強制的に集中するように作った仕掛けだったんだろうか。
それとも運営側の思いつきだったんだろうか(ブレーンストーミング中は人の意見に耳を傾け、自分の中で考え過ぎないの法則を既に自己紹介段階で適用?)。
ふと、帰りの電車の中でアタマに浮かんだ疑問。

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小中学校の教師の負担をみんなで協力して軽減しよう!


いじめの問題や不祥事など、教師に対する世間の風当たりは非常に厳しい。
幸い、ぼくはこれまで世話になった先生には大変よくしてもらった記憶が強く、教師に対する印象はかなり肯定的であり、教師が事件を起こすという報道を目にするといささか違和感を感じざるを得ない。
さて、7月に自宅を引っ越した。
新居はとある都立の中高一貫校の向かい。
自宅からは校舎とその前に広がる校庭を一望することができる。
休日に窓から校庭を見下ろせば、生徒が部活に汗を流している。
男子・女子関係なく、早朝から声を出して楽しそうに取り組んでる(ぼくにとっての高校時代の部活は楽しかったのと肉体的に辛かったの半々だったので、楽しそうに部活に取り組んでいる姿は大変羨ましい!)。
そして、目に付くのが、生徒に混じって指導する先生たち。
野球部であればノックバットを振り、サッカー部であれば声を張り上げて生徒を指導する。
炎天下での指導はさぞ辛いはず。
窓から見ているぼくからすれば頭が下がる。
そして、夜になれば遅くまで校舎の灯りが消えることはない。
日付が変わる直前まで灯りがついていることもあるほどだ。
おそらく職員室で翌日の授業の準備や定期試験の採点など、生徒のいない時間にこなさなければならない業務に追われているに違わない。
下図はぼくが「感覚」に基づいて作った小学校~大学教授までの負担を示したもの。
教師の役割を大きく4つ挙げ、それぞれの負担の重み(時間・プレッシャーなど)で示してみた。
教師の負担
あくまでも個人的な感覚に基づいているため、負担の重みについては異論があるだろうけど、小中学生の教師の負担が大きいことには同意してもらえるのでは?
小学校の教師の大変なところは、一人でほぼ全教科を教えなければならない上、児童からすれば第二の親のような立場であることから人格教育を施すことまで期待される。
家庭では担えなくなってきたしつけ教育まで期待されるのであるのだから、その負担たるや想像を絶するものだ。
中学校の教師は自分の専門科目だけを教えれば良いという点では小学校の教師に比べて教育(学習)的負担は軽減されるものの、人生で最初の分岐点に立つ進路相談という大きなミッションが待ち受けている。
部活の指導などでも活躍が期待され、体力の消耗も激しい。
高校・大学はというと生徒の人格がほぼ形成されていることなどから、人格教育や部活への取り組みはさほど負担が大きくない(部活については学校・部によって大きく異なるが)。
小中学校教師の負担を軽減してあげるような地域社会による支援がこれから求められるのではないだろうか。
共稼ぎ世帯が増え、こどものしつけなどが不十分であるならば、地域の住民全員で教育の役割を担い、親・教師に次ぐ教育的立場に立てるような仕組みはどうだろう。
たとえば、生徒の部活の指導は地域住民が持ち回りで担うなど。
大学生などのボランティア実習や、高齢者による活動プログラムとして組み込んでみるのも良いかもしれない。
場合によっては、公立の学校の部活の指導であるなら、指導相当に対する対価を税金負担軽減にしてみてもよいかも(手続きは面倒そうだけど)?
教師を責めるだけでは、昨今の教育が抱える問題は解決しない。
未来を担う子供の教育のため、教師を中心に地域全体でサポートしていくような取り組みがこれから求められていくべきなんじゃないだろうか。

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語学学習は田舎者のほうが向いている?


ぼくは大阪出身ということもあって、
今でもイントネーションにはところどころ関西訛りが入っている。
親には「直したほうがいい」とか言われるけれども、
「別に自分のルーツなんだから気にすることはないんちゃう?」という感じで大して気にしていない。
で、ふと最近(と言っても10年ほどもの間だけど)感じているのがタイトルのようなこと。
※以下は勝手な思い込みのオンパレード。
方言を話す人って、
テレビなどでは標準語を聞いているわけで、
自然と頭の中で言語の切り替えができる能力が身につく。
一方で標準語ネイティブの人は、
頭の中で言語を切り替える機会がないものだから、
「○語」モードに切り替えるってのが自然とできにくいんじゃないかなぁと勝手に想像してる。
地方の人は標準語が普段から頭の中に入ってくる環境(テレビなど)にあるのと同時に、
標準語を理解しないと成り立たないケース(上京など)にも置かれているというのもポイントだ。
方言を他の国の言葉に置き換えてみても極端に言えば同じようなことなのかもしれない。
方言を話す人はなんちゃって標準語を話すことに恥じらいを感じない(?)分、
なんちゃって外国語を話すこともネイティブ標準語族に比べて恥ずかしいと思わず、
果敢にしゃべってしまうのも語学力の習得に差が生まれる要因なのかもしれない(強引な仮説だ)。
いずれも地方の人の方が、関東の人と比べて外国語習得の点では優れているのでは?という
勝手な仮説に基づくさらなる仮説に過ぎないけど。
バックパッカーをしていたとき、
関東の人はその他の地域の人に比べて少なかった記憶がある。
この事実は、もしかしてぼくの仮説を補足する有力なヒントとなるのかもしれない。
いずれにしても、方言で話す人は方言と標準語を使い分ける巧みなワザを語学学習でも役立て、
地方で暮らすということを武器としよう。


いまだ消極的選択しかできない国民


内閣不信任案が否決された。
ここまでの民主党の迷走ぶりを見ている限りでは、とてもではないが彼らに今後の日本を託したくない。
国民の間でもそのような風潮が高まり、「菅内閣もこれまでか」との流れができていた。
にも関わらず、結果は上記のとおり否決。
今、振り返ってみよう。
先の選挙で民主党が政権与党に付いたとき、国民はどのような原理に基づいて行動したか。
「自民党はだめだ。一度民主党にさせてみよう」というのが民主党に投票した人の多くの理由だったはず。
これって「○○がダメだから、△△にしようという」、決して△△を積極的に支持しているわけではないけど、○○よりかは「マシ」だから選ぶというなんとも消極的な原理だ。
今回の内閣不信任案の流れも同様だったのではないだろうか。
「菅内閣では駄目だ」。
菅さん以外に誰が総理だと良いのか。
不信任案を提出した自民党は具体的に何を国民にアピールして、国民の支持を得て政を進めていくのか。
この辺りが全く見えてこなかった。
自民党を積極的に支持したくなる明確なメッセージが無い限りは、この国はいつまでたっても「消極的選択」という、悪しき「減点主義」に基づく行動しかできないわけで、これは反官僚主義などを叫んでいるのがちゃんちゃらおかしいという皮肉でもなんでもない。
自民党がもっと確たるモノを持ち、民主党の造反を迷う人を味方に付けることができたら結果は異なっていたことだろう。
したがって、消極的支持でなく積極的支持を得るためにもっと頭と体を使っていくべきだろう。
積極的支持のパワーは消極的支持のパワーよりも強い上に揺らぎが少ないハズだ。


Facebook、twitterなどの使い分け


blogにはじまり、twitter、Facebookと個人が情報を発信するツールが多く誕生し、いったいどれをどのように使えばいいんだ?というのがこのところのぼくの悩みだ。
きっと、同じような悩みを持っている人は多いのでは?
面倒になってtwitterのつぶやきをFacebookにも垂れ流している人も多いはず(ぼくもそうしてた)。
ぼくはblogは3つ運営している上にtwitterもアカウントは2つ、さらにFacebookをしてtumblr、Linkedinにまで登録している。
ま、していると言ってもアカウントを取っただけみたいなものが大半だけど。
こんなに色々とあると、はっきりいって混乱してしまうし、結局のところどれもが幽霊アカウントになってしまうのが関の山といったところだろう。
そこで、悩みを解決するために、それぞれのツールの特徴に基づいて役割付をしてみた。
なお、blogは一般的にコミュニケーションツールではあるものの、ぼくにとっては思考の整理の場という位置づけが強いため、使い分けの対象とはしない(ちなみに3つ持っているblogアカウントの使い分け基準は「会社」「プライベート」「その他」)にならず。
それに替りというわけじゃないけど、コミュニケーションツールの王様とも言えるメールはきちんと役割を与えておかないと。
で、整理したのが下の図。
ざっと言えるのは、コミュニケーションの相手との距離感によるのが大きいかな。

整理してみてFacebookのぼくの中での位置づけがある程度みえたのが収穫だ。
普段から付き合いのある友人などは従来通りメール。
メールアドレスの交換をしていないような昔の友だちはFacebook。
これがぼくの分け方。
だから、基本的に普段付き合いのある友人はFacebookに登録されていない。
普段から連絡を取っているような友達からの返事が欲しいような連絡は
既に登録している電話やメールを使うほうがはっきり言って手っ取り早い。
改めてFacebookで連絡を取り合うのは正直面倒(自分の経験とグループで会わず個人的に会うことが多いことから)。
また、twitterについては不特定多数への告知に利用したい。
Facebookも不特定多数への告知に向いているけど、
ユーザー層が比較的偏っているという特徴があるため、
内容に応じて告知ツールとしてのtwitterとFacebookを使い分けると良さそう。
[twitter]:学生や主婦なども含めた幅広い層
[Facebook]:ビジネスパーソン
今、ビジネスシーンではFacebookがすごく注目されているけど、
ぼくのようなフリーランスのような立場であれば、
Linkedinのほうが注目されていくと踏んでいる。
Facebookは「組織」、Linkedinは「個人」ブランドという棲み分けが進められていくと予想している。
なお、Linkedin関連の参考書籍は日本であまり出回っていないので(5月末時点で『LinkedIn人脈活用術 ―仕事のアイデアと情報を引き寄せる』のみ)、このテーマの本を書けばちょっとしたお小遣いは稼げるかも?
※Linkedinは株式上場を先日果たし、上場初値が急騰して注目を集めたことでちょっとした有名に(cnetの記事)。
日本ではまだ馴染みのないtumblrはなかなか面白いツールだと思う。
twitterやFacebookのようなソーシャルメディアではあるものの、
これは一次情報を発信でなくネットで見つけたオモシロ情報(二次情報)を発信するためのものとの色合いが濃い。
もちろん、一時情報を発信する使い方をしても良いが、
一般的には執筆者でなく編集者的な体験が楽しめるものだと言える。
コミュニケーションツールの使い分けに困っている人、まずは自分のコンテンツが何かを見つめ直し、
それぞれのツールの良さを見極めて情報発信をしてみてはいかがでしょう。
※どれが正しい使い分けというのもないし、使い分ける必要すらどうかというので、あくまでも参考レベルで。


政治への関心が向上


選挙にはほぼ皆勤で投票しているぼくだけど、先の大震災をきっかけとする民主党のお粗末ぶりを見ることで、「彼らに任せていると国を潰されかねない」との思いから、選挙への関心が高まったぼく。
ほかの有権者も同様なのでは?
事実、結果的にほぼ無風とも言えた東京都知事選挙でも前回の投票率を上回る57.8%を記録した(都知事選挙 投票結果)という結果が物語っている。
さて、今週末は区議会議員選挙。
先日帰宅すると、「日本会議」という団体が区議会議員選挙候補者に当てて独自で実施したアンケート調査結果が自宅のポストに投函されていた。
例えば、調査項目は下記の通り。
●子ども手当の一律支給について
●地方議員の定数削減について
●外国人の地方参政権付与について
各候補者が何を考えているのか有権者が把握し難い(労力もかかる)だけに、日本会議がどういう組織なのかはともかくこういった調査結果は価値が高いし、ぼくはこの結果を参考に投票する予定だ。
大震災の後に「防災、防災」という候補者はどうも…。
なお、調査結果票の最後にこんな文言が書かれていたのが印象的。

残念ながらアンケートにお答えいただけなかった方の方が多い結果となってしまいました。自分の考えに信念の無い方なのか、区民の小さな声に耳を傾ける余裕の無い方々なのか。これも参考にしてください。