イスラエル滞在最終日。
そして、午後からは極寒のモスクワへ。
今日も宿の朝食は食べず外へ。
まず食事の前に郵便局へ。
エルサレムで書いた絵葉書がまだ発送できていないことと、テルアビブからも絵葉書を送りたいということから切手を買いに。
郵便局の呼び出しの仕組みは日本と同じく番号札に書かれた番号で呼ばれるのだけど、残念なことに番号を呼ぶ言葉はヘブライ語なのでカウンターに表示される番号を見張り続けないと逃してしまうというリスクが有る(これは日本語で呼ぶ日本でも同じく外国人は困ってるはず)。
幸い、なんとか自分の番に切手を買うことに成功し朝食へ。
何度通ったかわからないRothschild12へ。
朝食を食べたいと伝えるも、メニューはヘブライ語のみだとかなんだかよくわからない(そもそも接客する気がない?)ので、諦めて店を出た。
Rothschildをぶらついて、通り上にあるカフェでローストビーフを食べた。
地元の一般人に混じって食べる朝食はまさに現地の生活に溶け込んだ感じで、
イスラエル最後の朝食としてRothschild12ではなかったもののコレもありかという感じだった。
Rothschildの路上カフェでのローストビーフサンド
そろそろ荷造りをと思い、宿へ戻る。
部屋には巨神兵のような大男が。
彼についてはかつて世界一周をしたとき、ロンドンで同じ宿だったブラジル人なのでは?とずっと気になっていたけど、話してみるとドイツ人だそうで、
ぼくの予想は見事に外れた(彼には部屋のベッドが小さすぎ、足を折り曲げてもなお足がはみ出ていた)。
彼もぼくと同じ日にチェックアウトするらしく、電車を使って空港に行くとのこと(ぼくも同様)。
既にチェックアウトした他のメンバー含め、ぼくらがチェックアウトするとこの部屋は一気に誰もいなくなる。
大男は僕よりも先のフライトのため、先にチェックアウトし、ぼくだけが部屋に残されて荷造りを急いだ。
モスクワに経由する関係でダウンジャケットなど防寒着をバックパックの上に詰めてすぐに取り出せるようにするなど、
来たときとは大幅にバックパックの中の荷物の位置を変更。
チェックアウトし、電車の駅へ。
近道を求め、バスステーションから宿に向かってきたときとは異なるルートを採用したものの、気分的には対して時間短縮になってない印象だ。
途中、昨日ISL8で飲み物を買った店で水を購入。
店主は特にぼくについての記憶がないようで、普段と変わらないような自然な接客だった。
駅に着きセキュリティチェックを受けて切符購入。
ISLの残りが中途半端なのでクレジットカードで切符を買う。
電車で空港に向かう人が思いのほか多い。
確かにタクシーで行くには高い(ISL150(≒4,500円相当)。
セーブできるところはセーブする欧米人であれば電車を選ぶのは当然。
空港まではたった1駅。
15分ほどで到着した。
空港について出発ロビーに30人ほど乗れるのでは?と思うような大きなエレベータで上がる。
アエロフロートに乗る人の列に並ぶ。
列の終わりには係員がいて、イスラエル滞在について質問を受ける。
イスラエル滞在のみならず、パスポートのこれまでの渡航歴もチェックして「なんでマレーシアに行ったの?」まで質問。
いちいち覚えてないよ。
突破して航空会社のカウンターへ。
流石にここは何も問題なくクリア。
ただ、ぼくのバックパックはカウンター横のベルトコンベアーから流せないらしくて別口に行けと言われる。
別口にバックパックを預け、中へ。
イスラエル最後の地から自宅へ絵葉書を送る。
CD屋があって買おうか迷ったものの見送り。
いたずらに出国手続きをせずにぶらぶらしても仕方ないので、出国手続きへ。
その前に手荷物・セキュリティチェック。
これが悪名高い最大の難所だ。
イスラエル人以外は別に並ばされる。
飛行機出発1時間前にやってきた人は係員に少々キレられていた(3時間前に来い!というイスラエルルールがある!)。
ぼくの番。
ゲートをくぐる。
毎度のことながら、ゲートをくぐるときはポケットの中を空っぽにするので、
携帯はゲートの脇に置いて身体だけゲートをくぐる。
荷物もゲートをくぐるけど、どうも怪しいらしい。
再度ゲートをくぐり、係員から「爪切り入ってるよね?」と言われ、爪切りを見せる。
で、さらに身体検査。
靴までなんだかよくわからない機器をあててチェック。
カバンの中に機器をあてる。
ちょっと機器をあてては少し離れたところの装置に機器を持っていって検査結果を照合している印象(何を検査しているかは不明)。
「疑わしいことはなし」ということで晴れてセキュリティチェックを通過。
で、出国手続き。
これは意外なほどあっさり突破。
イスラエル入国時に「あっ」と声が出た上り坂と下り坂の交差の意味がわかった。
ぼくがこれから向かうのが出国のための下り坂で、
入国の時に下ったのが入国のための坂だったわけだ。
坂の壁にはイスラエルが誇る科学技術やノーベル賞受賞者を称えるパネルが多数展示され、
出国者に「イスラエルは科学技術の国だ」というのを最後の最後まで印象づけるかのようっだった。
イノベーション、イスラエル!
飛行機搭乗まで時間があったので、
残ったISLを使おうと売店などを散策。
ゲート内にもCD屋を発見。
イスラエルの街中でCD屋を目にすることはなかったのに、
空港でこれほど目にするとは奇妙。
「そういえばケバブを一切食べてないな」と思ったのと、
イスラエルの食事は結構好きで最後に食べておきたいなというのもあり、
現地の人がたくさん集まっていたテイクアウトの店へ。
仕組みをよくわからないままケバブ注文。
滑走路を滑って飛び立つ飛行機を見ながら、「イスラエルも今日で最後だな」と思いながらケバブを食べる。
イスラエル最後の食事
で、CDを買う。
イスラエルのポップミュージックでもいいかと思ったけど、
どれが良いのかさっぱりわからないので自分の勘の働くヘビーメタルコーナーを見ていたら、
いかにもヘビーメタルが好きそうな長髪の店員が近づいてきた。
Orphaned Landを薦めてきたものの、彼らは既に日本でメジャーで敢えてイスラエルで買う必要はないと思い、
それ以外のオススメを教えてくれと言うと、Dillemmaというバンドをオススメしてき、それを買った。
ケースに”20″と書いてあったのでILS20かと思いきやUSD20だった。
ILSの残りを使おうという目論見は脆くも崩れ去り、クレジットカードでお買上げ。
隣の売店で雑誌でも買おうと思うも、どうも残りのILSが半端すぎて、
欲しくもないのにイスラエルの英字新聞を購入。
新聞を手に取り、いよいよ搭乗。
ほぼ満席にも関わらず隣がいなかったのですごく快適。
テルアビブを上空から
テルアビブからひたすら北上し、一路モスクワへ。
モスクワに到着したのは19:00。
往路は空港内で過ごしたけれども、復路ではモスクワの土を踏む。
入国審査の列はなかなか進まない上に、係員の気まぐれでいきなり閉じられるなどいきなり「ザ・ロシア」という手荒な歓迎を受ける。
いみじくもぼくの並んだ列は全く進まない。
どうやら前にいる人がビザを持っていないかなんだかで揉めている様子。
トランジットビザを飯倉のロシア大使館で予め取得してきたぼくではあるものの、ぼくのビザは果たして大丈夫なんだろうかと少々不安に。
宿泊先のチェックもされることなく、あっさり通過。
預けた荷物を受け取り、バックパックを開けて開いてすぐに取り出せるようにしまっておいたダウンジャケットなどを取り出す。
さすがに気温0℃という予報を目にしていただけに、防寒に関しては余念なし。
モスクワでは両替は一切せず、ATMから現金をおろす作戦を取るため、早速ATMから500ルーブルをおろす。
空港から市内へは電車で。
駅の改札前にはスターバックスがあるなど、以前はマクドナルドがやってきただけで大行列ができたというモスクワはウソのようにアメリカのものがどんどん入ってきているのを早速実感。
モスクワ空港のスターバックス
電車に乗る。
車窓からは寒々しい風景が目に飛び込んでくる。
家路につく車で渋滞している。
次第に窓の外の風景は暗くなり、モスクワ駅に到着したときは真っ暗になっていた。
モスクワ駅(ベラルーシ駅:Белорусский вокзал)
ちなみに、モスクワ駅と言えども、複数ある。
ぼくはてっきり空港からの電車はキエフ駅に着くものかと思っていたら、着いたのは別の駅だった。
かといって、キリル文字が読めるわけでないのが果たして自分が何駅にいるのかわからない。
運が悪いことに、たった1泊の滞在と甘く見ていたせいでガイドブックは一切手元にない。
とにかく電車を降りる人の流れに身を任せる。
身を任せていれば地下鉄の駅には行けるだろうという淡い期待を持ちながら。
運良く、地下鉄の駅には到達できた。
入り口に地下鉄路線図が貼られていて、どうやら今いる位置がわかった。
ガイドブックを持っていないので、地図を写真に収める。
英語が通じない券売カウンターのおばちゃん相手に切符を購入し、地下鉄の駅構内へ。
噂には聴いていたけど、その内装と言うか装飾はスバラシイ!
ハラショー!
地下鉄の駅構内が美術館にでもなったかのような雰囲気。
地下鉄の駅に入ってエスカレーターで下っていくだけでテンションがガンガン上がってくる。
こんなに旅でテンションが上がったのも久々だ。
半蔵門線永田町駅のエスカレーターよりも長い。
地下が深い!
エスカレーターを降りてからさらに道がわかれる。
ドラクエのダンジョンの中をバックパックを背負ってウロウロする頼りない勇者の気分だった。
キリル文字がさっぱり読めない。
この駅がベラルーシ駅だというのはわかったものの、
ベラルーシ駅には複数の地下鉄の路線が乗り入れていて、
宿に向かうためにはどの路線に乗ればよいのか、そしてその路線のホームにたどり着いたところで、どちら方向の地下鉄に乗ればよいかなど、
さっぱりわからない。
かろうじてわかるのは予約した宿の最寄り駅の名前。
とはいっても、キリル文字での名前でなくアルファベット名称のもの。
なんとなくアルファベットとキリル文字の類似性と文字数を頼りにお目当ての行き先の目星を付け、
そこへ向かうためにはどの地下鉄に乗り、さらにどこで乗り換えるかを何度も撮影した路線図で確認。
モスクワ地下鉄の駅構内
何度もiPhoneの写真をチェックするものだから電池が少しずつではあるものの減っていく。
この電池の減りがさらに待ち受けるピンチでぼくを焦らせる。
地下鉄構内の荘厳さに感激しながらもたどり着くんだろうかという不安と戦いながら、なんとかお目当ての駅に到着。
階段を登り地上に出ると、デーンとデカイディスプレイ。
日本で見たことのない馬鹿でかいサイズのディスプレイにPanasonicの広告がテカテカと輝く。
馬鹿でかいPanasonicのディスプレイ
ガイドブックは持っていないものの、かろうじてLonely Planetのモスクワ無料版にアクセスできるので、そちらの地図を参考に宿を探す(Lonely Planetの地図の通り名称はキリル文字でなくアルファベット表記なので通りの標識と一致しているかさっぱりわからない!)。
結論、駅から徒歩3分程度の場所にあるはずなのに、2時間近くもバックパックを背負い、寒空の下をさまよう最悪モード満喫!
いくらさがしてもわからない。
建物に番地番号が書いてあったりなかったり、何度通りを往復したことか。
らしい建物に入っていって、「ここにホステル入ってないっすか?」って尋ねたり。
予約していた宿は見つからないので、代わりの宿に泊まろうとするも、あいにくそこは満室。
で、ぼくが泊まろうとしている宿ってどこかね?とちゃっかり尋ねてみると、
確かに近くに存在していることは確認し、なんとなく行き方をゲット。
実はホステルの入り口は裏手にあるらしく、ビルを回り込んでいかないといけないことが発覚。
ちゃんとガイドブックを持っていれば書いていたかもしれないけど、さすがにガイドブックなしの身にはそんなこと思いつかず。
ヘロヘロになりながら宿にたどり着きチェックイン。
このときだけは久々の疲労感で全身から力が抜けてしまった。
コピーのためにパスポートを渡し、
部屋を案内してもらう。
6人部屋で2段ベッドが縦に3つくっついて並んでる。
これだと運悪くだれかの足が頭に向けられることがあるかも。
荷解きをする。
ルームメイトは「よぉ、どっからきたんだい?」と声を掛けてきて、「日本」と答える。
彼はタジキスタンからやってきたとのこと。
どうやら顔立ちから同郷の人間だと思ったのかも(タジキスタン人は日本人と顔立ちが結構似てる)?
地下鉄を降りたのが21時で、チェックインしたのが23時。
外は人通りがあるものの、さすがにこんな時間から晩御飯を食べに行く元気はもう残ってないので、機内食で出されたものの口につけないで持ってきたパンをかじった。
で、翌日はモスクワ半日観光が控えているのでさっさとシャワーを浴びて備えようとシャワーを浴びる。
が、ここでも不運が。
お湯を出して身体を濡らした時に気づいた。
部屋から離れた共同シャワーへバスタオルを持ってこなかったことを。
シャワーを浴びて、来てたシャツでささっと身体を拭いて部屋に戻り、バスタオルで身体を拭いた。
つくづく今日はついてない。
共同リビングではロシアのバラエティ番組が流れている。
そして、番組を観るわけでもなく大声で威張るように喋るバロテッリみたいな黒人がいた。
モスクワの街を翌日歩いていても黒人を目にすることはなく、彼の存在は極めてマイノリティ度が高い(サッカー選手であれば黒人はいるけど)。
ぼくのベッドの下でカップルと思しきやつが怪しい動きを見せてて少々気が散ったけど、翌日に備え泥のように眠った。
Da Hostel
Old Albert, 11 Moscow.
¥1,000/泊(男女mix6人部屋)
バスタオル付き