2012年
アメリカ合衆国大統領には、つい10年前までは政治的にノーマークだったAlex Gonzalezが就任した。彼をサポートする副大統領には、California州知事を一部の反感を買いながらもスレスレの支持率で務め上げた移民であり映画俳優だったErnold Schwarzeneが就いた。
政治的には無名だったGonzalezが大統領に就任したいきさつには次のような時代の流れがあることは見逃せない。
2007年
アメリカ大統領を2期に渡って務め上げたGeorge W Pushだが、彼が力を注ぎすぎたイラク戦争がアメリカ東部に住むエスタブリッシュたちの我慢の限界を超えそれがために民主党が共和党を破って21世紀に入って初めて大統領選挙で勝利を収めることに成功した。
大統領として就任したのは、下馬評どおりPilary Blinton。アメリカではじめて夫婦ともに大統領に就任し、アメリカ合衆国初の女性大統領が誕生した。
なお、2007年の選挙は非常に興味深いものでもあった。それは、両政党ともに女性候補者を立てたからだ。共和党は、Push政権でその力をいかんなく発揮したGondley za Rice。もしも彼女が政権を握っていたのであれば、「女性初」・「黒人初」という2つの「初」が転がり込んだのだが、Pushの対イラク強硬政策が仇となり彼女は大統領に就任するチャンスを逃してしまった。
2011年
Pilary Blintonは第1期を見事に務め上げたものの、民主党が打ち出す親中政策は国内製造業などの理解を得られず(むしろ反感を得て)、民主党がさらに政権を維持するのは難しいと見る論調が大きくなった。
そうした空気の中、共和党の候補者として勝ち上がったのが冒頭にも記したGonzalezだ。彼は、貧しいキューバの村で生まれてすぐに、家族揃ってアメリカへ亡命した。なお、彼はキューバに生まれたものの生後すぐに亡命したこともありアメリカ国籍を有しており、大統領就任の資格も有している(アメリカ合衆国大統領となるには国籍などいくつかの基準が存在するが、ここでは詳しく触れない)。
つい10年前までほとんど中央政界ではノーマークだった彼が大統領に就任できたのは、増大するヒスパニック系人口の後押しがあったからだというのはいうまでもない。California州に至っては人口の52%をヒスパニックが占め、南部のNew MexicoやTexas、Arizonaなどもヒスパニックが大きな勢いを持つようになっている。また、東部のNew YorkやNew Englandなどでもヒスパニックの勢いは増していた。
2003年の選挙では共和党が比較的保守的な中部の支持を得て勝ち、民主党は西・東海岸の革新的な人たちから支持を得たものの敗れるというアメリカ大陸を縦割りして分析したのはもはや昔の話となってしまった。今や、アメリカを南北で割りヒスパニック系の多い南部の支持を得た政党が政権を握るに至る構図となった。
もう1つ、Gonzalezが政権を握ることができた理由。それは国際社会の中での相対的なアメリカの力の低下に伴う路線変更にある。
EUの加盟国は2004年に25を超え、その勢力は拡大してやまない(2011年時点もトルコは加盟できていないものの)。
EU拡大のほかにも、BRICsの中の中国(C)やインド(I)が産業発展に伴い世界での発言力が増大したこともある。これらの国を中心にアジアの経済圏が再編成され、2020年にはアジア共通通貨も誕生するのではと予測する某大手投資銀行がレポートを発表したりしている。
このようにアメリカが経済的に孤立しつつある中で(カナダ、メキシコなどと組むNAFTAではEUなどに太刀打ちできない)、アメリカはかつてのように孤立主義の道を歩むのか、アジアに接近するのか、EUに接近するのか、MERCOSURを中心とした中南米諸国に接近するのかという選択を迫られるようになり、それがそのまま2011年の大統領選挙の争点として産業界では注目されるようになった。
20世紀初頭のような孤立は、グローバルな循環の中で経済が成立する世の中ではまったくの論外でありさらに失業を生みかねないとの論調も現れるほどだったため孤立する道は受け入れられなかった。
中国をはじめとしたアジアとの接近には失業を恐れる労働者たちの支持を得られず、共和党の中ではまったく検討の余地はなかった。
EUとの接近。共和党の中では一部で声高に叫ばれたものの、EUが発行するeuroが基軸通貨としての地位を完全に確立し人口・合計GDPともにアメリカを凌ぐまでの勢いを得た今、EUにアメリカと協調するメリットは見られず、EUからアメリカに対しお断りの返事が届くことが大いに予想された(EU内で覇権を握ることに成功したドイツはアメリカとの協調路線に断固反対)。
こうした中で、残された選択肢はアメリカの南に位置する中南米諸国(とくにブラジルなどが加盟するMERCOSUR)との協調である。中南米諸国の大半はスペイン語が公用語であり、アメリカの第二公用語となりつつある状況を照らし合わせても、協調路線を強化するのは実に合理的な選択と言える。ちなみに、アメリカ国内でのヒスパニック系人口比率は35%に迫ろうという勢いとなり、一部の州では公共の表示には英語とスペイン語を併記することが条例で定められるまでになった。共和党候補者の中で、Gonzalezだけがヒスパニック系だというのは、対中南米政策を強化する点で大いに追い風となり、共和党から出馬するに至ったのだ。
Gonzalezが大統領に就任してもっとも変化したことは、彼がこれまでの大統領とは異なって英語だけでなく場合によってはスペイン語で演説を行うことだ。そして、スペイン語演説の際に、GonzalezはアメリカのことをUSAではなく、EUと呼ぶようになった(E.U.とはスペイン語でUSAのことをEstados Unidosと呼んだときの略称)。当然、MERCOSURなど中南米諸国との会談ではE.U.を使用し、世界でもかつてのUSAよりもE.U.が浸透するようになり、いつしか中南米諸国以外の国でもUSAではなくE.U.と呼ばれるようにまでなった。
以上はあくまでもぼくがアメリカを旅して持った印象から描いた空想小説であり、人物名についても単なる想像に基づいて設定している。
なお、2011年時点のアメリカの選択肢には日本を含めていない。
この時点で日本がアジアとの積極的な協調路線をとっているのか、もしくはE.U.の中のイギリスのように引いた立場を維持しているのか、さらにはいずれの国とも協調することなくバランサーとしての役割に徹するのかはいまだに見えてこない。
しかし、アメリカでは確実に変化が生まれつつあり、その変化が日本に影響を与える可能性があることは決して見過ごせないし、その変化を事前に汲み取りさまざまなシミュレーションを行っておくことこそが必要だということがアメリカを2週間ばかり旅して得た印象である。