Villazonからぼくたちのボリビアの旅が始まった。
前回もVillazonからボリビアの旅が始まり、ぼくにとってはさして新鮮味に乏しい国境越えだった。
なお、アルゼンチン側の国境の町La Quiacaとボリビア側の国境の町Villazonとは時差が1時間ある(ボリビアのほうが遅れている)。
初めて国境超えをしたとき、徒歩でたった15分もかからない両町の間に時差が存在していたことに随分驚いたことを今でも覚えている。
さて、ボリビアという国の名前を聞いて何を連想するだろうか。
初めて旅したときは、世界で最も標高の高い場所にあるチチカカ湖や歌「コンドルは飛んでいく」といったものしか連想できなかった。
そして、今回の旅でもぼくのボリビアに対する前知識は成長することなく相変わらずだった。
せいぜい増えたのは、かのチェ・ゲバラがボリビアで亡くなったということくらいか。
日本の大都市ターミナル前では南米からのミュージシャンが「コンドルは飛んでいく」などのフォルクローレを演奏しているのは多くの人が目にしていることと思う。
彼らが着ている衣装を思い出してもらいたい。
彼らのような服装をしている人が辺りをうじゃうじゃしている。
ボリビアとはそんな国だ。
ボリビアの通貨単位はBs(ボリビアーノ)。
2005年9月29日時点でUS$1=8.00Bs
【想像以上に快適な列車の旅】
VillazonからUyuniへは列車を利用した。
Uyuniは塩湖で有名な観光地で、前回の旅で訪れることはできなかったこともあり今回の旅の南米編ハイライトとも言える場所だ。
ボリビアの列車のダイヤは実に妙なもので、乗客の都合は無視しているのでは?と思ってしまいがちながらも実際に乗ってみてそのダイヤは実に乗客思いだということに気づかされた。
だいたい、15:30分にVillazon始発でUyuniに25:30到着というのは誰が考えてもおかしい。
列車は30分遅れてVillazonを出発した(当然Uyuniへの到着は26:00!)。
標高は3,000メートルを優に超え、夜にもなると外気は一気に落ちる。
そのために、車両の中にはブランケットが用意されている。
なお、ぼくが利用したのは一般の観光客が利用する1等車(Ejectivo)。
Budget travelerを自負している身でも、列車の中での寒さや夜間の治安などを心配して1等車を利用した。
Villazon駅
列車が走り出して早々、ぼくは眠ってしまった。
というのもこの日はアルゼンチンのSaltaから5時30分発のバスに乗って(あやうく寝坊しそうになってしまった…)国境のLa Quiacaを越え、体力の消耗は随分激しかったからだ。
2時間ほど眠ったところで目覚めて車窓を眺めると、ちょうど夕暮れ時で薄い空気の向こうにそびえる山々が実に幻想的な色を放ちぼくらの列車を見送っている。
ぼくが持って歩いている”Lonely Planet”にも車窓からは絶景が楽しめると書かれており、ぼくはボリビアの鉄道会社はこの絶景を旅行者に楽しんでもらうためにダイヤを組んでいるのでは?と勝手な想像をしてしまうほどだった。
車窓からの幻想的な眺め
標高が高く、周りをさらに高い山々に囲まれているせいか日が沈むのは想像以上に早く絶景は夕闇に去ってしまった。
車窓を楽しめなくなったところで、食堂車のウェイターが夕食は何がほしいか?と訊きにきた。
ハムサンドかタマゴサンドを選ぶという至って単純なメニューだったものの、食事がついているとは知らなかったぼくたちにはうれしいサービスだった。
食事が終わると、車内ではビデオ上映が開始。
南米のバスや列車ではビデオ上映が1つの売りのようで、「ビデオ上映あります」という目印をバスターミナルの各社カウンターで目にすることが多かった。
ロベルト・ベニーニの『ライフ・イズ・ビューティフル』、日本での人気は本国ほどでないアダム・サンドラー主演の『アンガー・マネジメント』、ブッシュマンノ映画などが上映された。
ブッシュマンの映画があまりにも馬鹿馬鹿しく、ぼくたち夫婦だけ車内で爆笑し車内で浮いていた(言葉がわからなくても笑える映画というのは嬉しい!)。
映画上映が終了したところで、車内は消灯し乗客は26時のUyuni到着までしばしの仮眠をとることに。
しかし、この仮眠には少々落とし穴が。
26:00に列車はある駅に到着した。
ホームの現地人に「ここはUyuniか?」と訊くと「そうだ」との回答が。
それなのに、ぼくらの車両の車掌は夢の中。
なんと、車掌が夢の中にいたために当然扉は開かず、ぼくらは車内に缶詰に。
ぼくは夢の中から車掌を引きずり出し、扉を開けさせた。
夢から覚めた車掌は寝ぼけていて、車内をウロウロするだけでなんとも頼りなかった。
寝過ごした車掌がいたので、絶景を楽しませてくれて評価を上げたボリビアの鉄道への評価はイーブン。
※列車には当然トイレが設置されていたけれども、俗に言われるボットン便所だったため走行中は使用できても駅に停車しているときは使用できないという少々不便な代物。
【うんざりな旅行代理店】
26:00過ぎにUyuniへ到着したぼくたちを待ち構えていたのは、Uyuni塩湖へのツアーを企画・販売する旅行代理店員。
ぼくはこの手の呼び込みはあまりというかかなり好きじゃない。
悪いとは思いながらも、たいていは邪険に対応してしまう。
ぼくたちにある代理店のスタッフが近づいてきてUyuni塩湖へのツアーを勧誘する。
ツアーとあわせて、ホテルも売り込むというもの。
深夜の列車で到着したぼくたちの心を捕まえたのはホテルだけで、はっきりいってツアーのことなんかどうでもよかった。
ツアーは翌朝、すっきりしてから考えたかったから。
とりあえずホテルだけと思って送迎の4WDに乗り込むと、ぼくたちと同じように勧誘された欧米の観光客がすでにシートに座っていた。
4WDは遠くまで行くのかと思いきや、駅からほんの少しだけ進んだところで停車。
彼らのオフィスらしい。
ぼくたちを勧誘したスタッフは4WDに乗らず歩いてオフィスに戻ったらしく、ぼくたちよりも先に着いて待っていた。
ほんの少しだけの距離でも4WDに客を乗せてもてなそうという作戦なんだろうか。
オフィスに入ると、さっそくスタッフがツアーの説明。
ツアー会社なのに、英語を話せない。
疲れていたぼくは扉近く(スタッフからは最も遠いところ)で、意識が遠いままスペイン語の説明を聞いていた。
ぼくがぼんやり聞いていると、やおら「ところで説明を通じて2泊3日と3泊4日のツアーどっちがいい?」とスタッフが聞いてくる。
内容に大差はなく、ただゆったりできるか弾丸ツアーかの違いだったので「2泊3日!」と答えておくと、いっしょに4WDに乗ってやってきたメンバーでツアーのパーティを組むような雰囲気に。
ぼくたち夫婦はたった1日で標高3,600mまで上がってきて高山病などの心配があったので、ツアーの出発を翌々日にしたかったのだけれども、周りの雰囲気は翌日(夜中の3時に説明を受け、日が明けた10時過ぎには出発!)にしたそうだったのでしぶしぶ承諾してパーティに参加することに。
ちなみに、ぼくが翌々日に出発したいと言って一番不快な表情をしたのは旅行代理店のスタッフだったのは見逃さなかった(彼らとしては定員6人のジープに6人の客を詰め込みたい)。
夜中の1時間以上に及ぶツアーの説明を終えて、ぼくたちはようやくホテルへ通されることに。
駅から旅行代理店のオフィスはたったの100mほどで4WDに乗って移動したというのに、ホテルまでのそれよりも長い距離の移動には重いバックパックを背負って移動させられることに。
「ツアーの契約が済んだら歩かせるのか?」と、相手が日本語を話せないことをいいことに突っ込んでおいた。
【ツアーは過酷、そして油断は大敵】
値段などから考えると、ツアーの内容はぼちぼちといったところだった。
ツアー代金は2泊3日でUS$60。
ボリビアの物価で考えたら随分高い。
ツアーのメンバーはオーストリア人のHarry、ドイツ人のDavid、Rafael、アルゼンチン人のElizabethとぼくたち日本人夫婦の6人。
Harry。
30歳前後のオーストリア人男性。
10ヶ月ほど旅し、オーストリアが大いに気に入ったらしく3ヶ月も滞在したとのこと。
送ればいいのに、なぜかUyuniにまでオーストラリアで買った大きな筒状の楽器(長さ2mほど)を持ってきていた。
オーストラリアが気に入っているので、普段の服装もオーストラリアで買ったものばかり。
口癖は”No risk, no fun!”。
David。
20歳前後のドイツ人男性。
Social workでアルゼンチンに滞在し、その後Rafaelと南米の旅に。
異様に知識が豊富。
やくざは小指を落とすのはなぜか訊いてきたり、サッカー日本代表のAlexはどうなんだ?と訊いてきたりと妙な質問が多い。
Rafael。
David同様、20歳前後のドイツ人男性。
アルゼンチンが大好きらしく、これまで合計で3年も滞在。
スペイン語がペラペラ。
痩せているのに食欲旺盛。
Elizabeth。
30歳前後のアルゼンチン人女性。
はじめてみたとき旅行代理店のスタッフかと思ったほど観光客らしくない。
気遣い屋でみんなのお姉さん的存在ながらも、みんなでトランプをしようという雰囲気なのにもかかわらず一人でトランプ遊びするなど少々空気を読めないところも。
Mateo。
英語を全く話さないガイド兼ドライバー。
顔は濃い松尾坂内で、声は森新一といったところ。
ガイドの割には運転に夢中だったのか説明は控えめ。
1日目。
ぼくたちツアー客6人とガイド兼ドライバーのMateoの7人はToyotaの4WDに乗り込み、2泊3日の後から思い出すと過酷ながらも見ごたえある旅へ。
僕たちを運んだToyota
悪路で酷使されてきたのがわかるほどおんぼろ。
隙間からは砂埃が容赦なく車内のぼくたちを襲った。
汽車の墓場へ。
知らなかったのだけれども、ここもUyuniの見所らしい。
映画『マッドマックス』の世界に足を踏み入れた気分に。
汽車の車体にアインシュタインの相対性理論か何かの数式が。
汽車の屍に数式というなんとも言えないコントラストが印象的。
汽車の屍
線路はまっすぐに
アンデスの峰々を突き破ろうかというほどまっすぐに線路は伸びる
さっそくツアーのハイライトとも言えるUyuni塩湖へ。
塩のホテルも見学。
塩のホテルへの入場料がかかるからなのか、ぼくたち夫婦以外の4人は外で待っていた(お互いさまなのかもしれないけど、ときどき欧米人の価値観はわからない…)。
塩湖で塩を掘る仕事人
ひたすら黙々と塩を掘る。
塩が尽きることはない。
塩湖で大の字に寝転がってみる
地平線までずっと真っ白!
筆者初公開
塩のホテルの中
うそのようだけど、すべて塩でできている。
魚の島で昼食。
Uyuni塩湖の中に浮かぶ魚の形をした島で、見事なサボテンが島を覆っている。
中には1000年以上も島からUyuni塩湖を眺め続けているサボテンもある(サボテンは年間1cm成長することから年齢がわかるらしい)。
島の高台からのUyuni塩湖の眺めは格別。
あたり一面真っ白で、その白さはサングラスがないと目を傷めてしまうほど。
魚の島からUyuni塩湖の眺め
魚の島の坂を下るツアーメンバー
魚の島を後にして、ひたすら宿を目指して4WDは塩湖と砂埃の舞うオフロードをひた走る。
宿はひどかった…。
事前にLonely Planetで宿や食事は期待できないと書かれていたけれどもここまでとは。
エキストラベッドみたいなベッドにぼくたち夫婦2人で寝させられ、シャワーが浴びたいというと5Bs徴収(これは仕方ないか…)。
もしもぼくたち夫婦は寝袋をそれぞれ持っていなかったら極寒のベッドの中で凍えて一睡もできなかったのかも。
食事についてはまだ許容範囲。
そもそも軽い高山病に係り食欲が湧かなかったので普段よりも手につける量は少なかった。
食事の後、ツアーメンバー6人でShit Headという大貧民にも似たようなゲームで遊んだ。
Rafaelがあまりにも弱すぎる。
その弱さはかわいそうになるほど。
2日目。
朝食済ませて、トイレで用を足し(現地ツアーに参加する場合、トイレのあるところで用を足しておくことはすごく重要!)、4WDに乗り込む。
チリとの国境付近まで走る。
途中、リャマなどの野生動物も。
大人気のリャマ
リャマかわいい!と大人気
Andesのフラミンゴ
湖をピンクに染めるフラミンゴも
4WDはどんな荒れた道も突き進んだ。
砂漠を走れば、砂利道も。
川だって渡る。
ツアーの間4WDが走らなかったのはアスファルトの上だけだったか。
こんなところだってへっちゃら
砂漠と雪原が出会う場所も。
奥にはアンデスの頂が。
サルバドール・ダリの絵画の世界に迷い込んだような風景が目の前にひろがる(ダリはぼくの好きな画家。Parisのダリ美術館はファンにとっては見ごたえ十分)。
まいたけのような岩の前で
歴史の賜物
長い年月をかけて岩に穴が。
2日目の宿へは早めに到着。
宿に到着して、ぼくたちは高山病で痛い頭を抱えて、目の前の湖へ。
寒いのと少し歩くと息が切れるのとで湖の脇に立つ展望台まではたどり着かず途中で引き返した。
夕方になると気温が下がりぐっと冷え込み、マイナスを記録していたのかもしれないほど。
とにかく寒く、ぼくはフリースの上にダウンを羽織るという「これでもか!」という防寒。
これでもまだ寒いので、寒がりの人は十分な防寒用具を用意すること。
途中で引き返したぼくたちは夕食を摂り(妻は食事をいっさい口にせず頭痛に効くとされるコカ茶のみ)、またもやShit Headを。
相変わらず、Rafaelの負け越し。
ゲームが盛り上がっていると、いきなり電気が落ちる。
宿の人に「電気つけろ!」とHarryがいうと、「9時消灯!」と。
9時消灯なんていっさい聞いていないぼくたちは不満ながらも部屋へ退散。
実は翌日、朝4時半に起きて5時出発。
でも、9時なんて眠れないし、なんといっても空気は薄いし寒い。
ぼくは空気の薄さに息苦しさを感じ、なんども目を覚ました。
周りのメンバーも寒そうで、ほとんどは眠れていなかった様子(寝袋を持たずにツアーに参加したDavidとElizabethは相当寒そう)。
3日目。
真っ暗な中を、ライトに照らす轍(わだち)を頼りに4WDは突き進む。
かすかに浮かぶ山影も真っ暗な道では頼らざるを得ない。
昼間とはうって変わって、Mateoの運転は慎重だった。
次第に空が赤みはじめると、アクセルの踏み込みは強くなった。
間歇泉の前に4WDは止まったものの、寒くて車外に出たくないぼくたち夫婦は車の中。
他のメンバーも写真をパパッと撮ってすぐに車内へ。
再び4WDは走り出し、池の前へ。
ここは地下からガスが噴出し、そのおかげで暖かいお湯が手に入るのだとか。
Harryはパンツ一丁になって熱いお湯につかる。
彼の口癖”No risk, no fun”を身をもって体現。
他のメンバーは足湯を堪能。
前日の宿は水の供給もままならないずシャワーが浴びられなかったので、足湯につかるだけでも満足。
池の辺りもチリとの国境に近く、砂利道にはVolvoの大型トラックがチリへ向けて走っていた。
チリとの流通ルートが未だに舗装されず、雨季には道がぐじゃぐじゃになってしまうというのは経済にとっては非常に大きなハンデだ。
チリとの国境を目指す大型トラック
トラックの往来を横目に、ぼくたちはMateoの用意した朝食をとり、再び4WDに乗り込む。
足湯に使ったので体は少し温まったものの、やはり外気が低いこともあって寒い。
しばらく走ると、目の前に緑色の湖が。
かつて、アンデスは海底に沈んでいてその当時の珊瑚が取り残されて見事な緑色の水を示しているのだとか。
見事な色を見せたLaguna Verde
Laguna Verdeを堪能したぼくたちは、途中で昼食をとり一路Uyuniへ。
4時に起床してずっと運転しているMateoは必死に睡魔と格闘。
あまりにも危なっかしいので、ジュースや飴の差し入れをして睡魔との格闘をサポート。
Uyuniのツアーに参加するなら、旅行者が疲れるのはもとよりガイド兼ドライバーがもっとも疲れるのをお忘れなく。
ドライバーが睡魔との格闘に敗れたとき、事故に遭うのは旅行者であるのは確かなのでくれぐれもドライバーへのケアをお忘れなく。
2泊3日のツアーは、事故なく終わりぼくたちツアーパーティは解散した。
【こんなツアーはどうだろう】
ツアーに参加していくつか「ここはこうしたら面白そうなのに!」と思う点がいくつかあった。
以下、箇条書きで。
・ゆったり大型のHammerでめぐるUyuniツアー。
Hammerならどんな悪路も平気。
見た目だけで十分旅行者をひきつけられる?
Hammerのメンテナンスについては要検討。
・車の中にはブランケットを用意。
車内は想像以上に冷えるのでブランケットサービスがあるとうれしい。
・酸素ボンベを備え付け。
他のツアーのメンバーは極度の高山病に悩まされ、夜中にトイレで吐いていた。
せっかくツアーに参加したのに体調不良ではもったいない。
高山病は酸素さえ供給すれば治るので、「酸素ボンベの標準装備」をアピールすれば横並びの旅行会社間で差別化が図れるだろうに…。
比較的年配の欧米人旅行者も多いので、酸素ボンベなどいざというときの装備をアピールすると2泊3日でUS$100という値段でも勝負できそうな気が。
車は自動車メーカーの宣伝を兼ねて安価で提供してもらえるとより安い価格でサービスを提供できそう。