ボリビアのSanta Cruzから列車(通称Death Train)に乗り、ブラジルとの国境の町Quiharoへやってきた。
タクシーに乗ればすぐ先はブラジルの国境の町Corumbaだ。
実はこの国境、近年麻薬の密輸ルートとしてマークされている場所でもある。
なんでもボリビアはコカの葉を合法的に購入することができる唯一の国であり、高山病にかかったときに治療薬としても旅行者に服用されているほどだ(かくいうぼくもUyuniでは高山病で頭がくらくらしコカの葉のお茶を飲んだ)。
コカの葉から採取できるコカインを生産して隣国に持ち出そうとする輩がいても変な話では全くない。
とはいっても、ぼくたち日本人は麻薬の密輸に関わっているとは国境警備隊に思われていないらしく、荷物検査は比較的軽めだった。
日本人の荷物検査が軽微だという盲点を突いて運び屋を頼む輩がいるかもしれないので、国境を越える人は自分の荷物に見知らぬ人の荷物が紛れ込んでいないかを注意しておくことが必要。
さてブラジル。
2002年にGoldman SachsがはじめてBRICsという名称を用いたレポートをリリースしてから一気に広がった”BRICs”というキーワード。
ぼくがブラジルに今回の旅で足を運んだのは、果たしてBRICsというキーワードに値するほど経済力に成長が見込めるのかというのを自らの目・肌で感じたかったのと、前回の南米旅行では訪れることができなかったこと、そして、にわかに注目されているブラジリアン・アートに触れてみたかったというのがある。
なお、ぼくのサイトでもBRICsの「人」にフォーカスしたレポートを発表しているのでチェックしてみてほしい(https://www.borderzero.com/brics.html)。
今回触れるのは、ボリビアとの国境の町Corumbaとその後に訪れたSao Pauloでの出来事。
US$1≒2.3Reals(2005年10月12日現在)
【国境はさっさと通過】
Santa Cruzから夜行列車に乗ってCorumbaへやってきた。
実はこの列車に乗るために、Santa Cruzでは予定外に1泊多く泊まった。
というのも、当初月曜日に移動を予定していたのだけれども、日曜日に運行されていないというダイヤの煽りを受けてぼくたちが駅へついたときは既に切符は売り切れていたからだ。
Santa Cruzからブラジルとの国境の町Quiharoをつなぐ列車はDeath Trainと呼ばれるほどの過酷な列車らしいけれども、幸いにもぼくが乗ったのは特急列車でエアコンもついていたので想像していたよりはマシだった。
Lonely PlanetにはQuiharoまでは蚊との21時間にも及ぶ格闘の旅が待ち受けているようなことが書かれていただけに、特急ということでエアコンがつきせいぜい12時間くらいで到着したのには肩透かしを食らわされてしまった。
ただ、線路の整備が不十分なためか、「これ本当に列車なの?」というほど揺れが激しく、車内でとる食事がお盆の上でダンスするほどだった。
この生粋のバックパッカーはDeath Trainの各駅停車版に乗って地べたで寝るらしいので、我こそは!と思うバクパッカーはチャレンジしてはどうだろう。
チャレンジに際しては、水・食料・虫除け、懐中電灯をお忘れなく。
Quiharoの駅で降りたぼくたちを待ち受けていたのは、Panthanalへのツアーを企画・販売する旅行代理店のスタッフ。
話を聞いてみると、国境越えの世話と宿のサービスもしているとのこと。
値段は決して悪くないし、何よりもどこかフィーリングの合いそうなスタッフ(名はDiego)だったのでホテルまで連れて行ってもらうことに(後でわかったことだけれども、このDiegoに連れられて国境を越える日本人は多いらしい)。
タクシーに乗ってボリビア側の国境へ。
タクシーのドライバーは佐藤琢磨の名前を自慢げに言っていた。
彼にとって知っている日本人といえば佐藤琢磨だけなのだろう。
国境で出国スタンプを押してもらって、タクシーを降り、後ろから追いかけてきたDiegoのトラックの荷台に乗り込んだ。
ぼくは今でもどうしてDiegoのトラックで国境まで乗せてもらえなかったのかがわからない。
ボリビア側でビジネスをすることはできないからなのか、それともボリビア側のタクシー運転手の仕事までは奪おうとはしないという紳士的な心がけからか。
実はブラジル側の入国スタンプはボリビアで出国スタンプをもらった直後、すなわち国境線を越えてすぐに押してもらえるわけではない。
国境線から数km離れたCorumbaという町のイミグレーションオフィスで押してもらわないといけない。
南米では国境線を挟んで両国のイミグレーションオフィスが設置されているという例は決して多くなく、出国スタンプを押してもらった後に入国スタンプを次の国で押してもらうまでに数km、すごい場合は数10kmもタクシーなどで移動しないといけないということもザラだ。
ちなみに、ボリビアからチリへ抜ける際には、国境から100kmほど離れたUyuniで出国スタンプを押してもらわなければならない。
ぼくたちを乗せたトラックはPanthanal平原を眼下にうなり声を上げて突き進む。
トラックの上で、Diegoから「今日はブラジルにとって祝日にあたるので入国審査は14時からしか受けられないので、あとで一緒に行こう!」と。
ぼくたちがDiegoのトラックに乗っているのは朝の9時過ぎの話なので、再度イミグレーションオフィスへ行かないといけない。
つくづく面倒だ。
トラックの荷台に吹き込む風は心地よい。
これまでボリビアの砂埃が舞う高地を旅してきただけに、適度に湿度を含んだ風が頬を打ち付けるのが実に爽快だ。
まるでブラジル入国を祝うウェルカムドリンクかのよう。
トラックはDiegoが働く宿に。
宿ではPanthanalへのツアーの参加をプロモーションビデオなどでしきりに勧誘されたものの、あまり気乗りしなかったので断っておいた(ぼくはこの手のツアーには中南米の数箇所で経験しているためであり、大自然ツアーが初めてなら参加を検討する価値は十分あると思う)。
宿はきちんと約束通りイミグレーションオフィスへ連れて行ってくれたし、休日にもかかわらず両替をしてくれる「秘密」の場所へ連れて行ってくれた(レートは悪くないし、偽札を掴まされたわけでもない)。
CorumbaからCampo Grandeへ移動し1泊してからSao Pauloへ移動する予定だったけれども、連続で移動するよりも一気にSao Pauloへ行ったほうが宿探し、荷物のパッキングの手間が一度省けるため、一気に20時間ほどバスに揺られてSao Pauloを目指すこととした。
【大都会Sao Paulo】
Corumnbaを11時30分に発ったバスは、快調にPanthanal平原を突っ切り一路Sao Pauloを目指した。
このバス、途中で乗客が降りることはあっても乗ってくることはないので、比較的落ち着いてバスの旅を楽しむことができた。
なお、バス乗車前にイエローカード(黄熱病の予防接種をしたことの証明書)を保有しているかのチェックがされた。
バスでなく、車などのその他交通機関で移動する人はどのようにチェックするんだ?とついつい突っ込みたくなるチェックの甘さ。
バスは数時間走り最初の休憩所に。
休憩所に入ると、引き換えに大きなプラスチックのカードを手渡された。
どうやら、ものを買うときはこのカードを店員に差し出して商品のデータを転送してもらい、店を出るときに一括して支払いする仕組みらしい。
この仕組み、結構便利。
ショーケースの前ではとにかくほしいものを指差してカードにデータを入力してもらうので、ショーケースの前で人が押し合う必要はまったくない。
なお、この仕組みはブラジルのどの休憩所でも採用されていた。
バスはさらに走る。
しばらく走ると、国境警備隊による検問が。
実は検問というのがぼくは嫌い。
なんでも学生時代から検問や国境ではあまりよい思いをしていないから。
ライフルを持った警備隊が物々しい雰囲気を醸しながらバスに乗り込み、乗客の間には緊張した空気が流れる。
一番後ろの席に座る乗客から入念にチェックしている。
ポルトガル語の話せないぼくたちは、さらに緊張。
中にはバスから降りて取調べを受ける人も。
ぼくたちの脇に警備隊員がやってきたもののスルー。
理由は不明。
ほっと一息ついていたらいきなり「降りるように!」と。
「また引っかかったか!」と思ったものの、どうやら降りて車体の下のトランクの中身が見たいとのこと。
決してやましいわけではないので堂々と荷物を見せる。
ところどころこのような国境警備隊によるチェックは行われているので、決してやましいものは持ち込まないように。
でないと、そのあとに旅するすべての日本人が疑いの目でチェックされるので。
バスのドライバーはぼくがペルー人だと思っていたらしい。
何を根拠にそう思ったのかはわからないけれども、フジモリ元大統領のような人もいるわけだし、彼の中でのペルー人のイメージそのものが日系人だったのかもしれない。
ぼくたちの前に座っていた黒人は非常に落ち着きのない奴だった。
大音量(音漏れ激しすぎ!)で音楽を聴いていたと思えば、マナーモードにせず携帯電話のゲームをピコピコ。
隣の席に座っていたボリビア人は少々うんざりしていた(ボリビア人からすれば、薄くてゲームのついた携帯電話は少々羨ましそうでもあった)。
バスは翌日の朝、Sao Pauloに到着。
Corumbaとは時差が1時間あり、西から向かったぼくたちは時間を損したことになる。
目星をつけていたホテルにチェックインし、さっそく街を探索した。
南米のParisと称されるBuenos Airesが貧弱に思えるほどの熱気、スケール。
さまざまな肌の色の人々が通りを歩き、そのスピードはどの南米の都市の人々よりも早かった。
人の歩くスピードがその都市の都会度を測る尺度というのはあながち信憑性の高いものかもしれない。
CorumbaからSao Pauloへ
このバスに揺られてSao Pauloへ向かった。
【あまり頼りにならなかったガイドブック】
ことSao Pauloに限っては、ぼくが持っていった”Lonely Planet”の南米編はほとんど機能しなかった。
そもそも、宿情報が貧弱であり、見所情報すら不十分。
もしも、Sao Pauloの情報が充実していたのであれば、また違った過ごし方ができただろうに。
ショッピングを楽しみたいのであれば、Paulista地区がおすすめ。
このエリアには欧米のブランドショップと同様、ブラジルのブティックも軒を連ね、並べている商品のデザインは日本ではなかなか目にできないようなものも。
欧米で入手できるものは日本で買うのと同じような値段がするけれども(たとえば、NIKEやadidasのスニーカーなど)、ブラジルオリジナルのものであれば日本のセレクトショップで手に入るものよりも割安かも。
ショッピングがしたいのであれば、ぜひこのエリアへ。
また、宿についても日本人街のLiberdadeではなく、Paulistaに近いエリアを選択するほうが遊びに行くことなどを考えると便利。
個人的には、Paulistaから少し外れたFormula 1というフランスのaccorグループが経営する宿はダブルで60 Realと悪くない値段を提示している。
ここなら裏に日本から撤退してしまったCarrefourがあったりと何気に便利な気がする。
なお、ぼくが滞在したHotel Ikeda(Liberdadeにある日本人経営のホテル)はダブルで50 Realだった(満足度は低い)。
また、夜遊び好きであれば、Paulistaと13 de Mayoがぶつかるあたりに安宿があるのでトライしてみるとよいかもしれない。
探せば宿はいろいろと見つかると思うので、時間があるならいろいろ検討してみるのがおすすめ。
Paulistaのブティック
【そこは危ない!】
Sao Pauloは治安が悪いことでも有名だ。
ぼくが持っていった”Lonely Planet”によると、自動車は信号が赤だとしても交差点で停車してはいけないらしい。
停車していると自動車強盗に遭うかもしれないというのがその理由だ。
個人的にはこれまで海外旅行で危ない目に遭ったことはないので、大して気にしていなかったのだけれども妻がびびっていたこともあり無茶はせずに夕食は早めか宿の近くで摂っていた。
どうしても石橋をたたいて渡るようなスタイルの旅をするのなら、宿の人に近隣の危険スポットを事前に聞いておくとよい。
ちなみに、Hotel Ikedaから東に1ブロック進んだだけで危険地帯らしい。
【日本人、日本人、日本人】
Liberdadeは、笠戸丸に乗ってブラジルへ移住した人をルーツとした移民たちが今でも多く暮らす日本人街。
街中を歩いていると普通に日本語が耳の中に飛び込んでくるし、日本料理屋や日本のお菓子などが手に入るスーパーだってある。
だから、いったいどこの国に来たんだと?いう感覚に襲われてしまった。
けれども、最近ではどこにでも進出して街を作る中国人に押されて、Liberdadeはかつてほどの日本人街らしさというものは薄れてしまっているようだ(Liberdadeに勤める人談)。
Liberdadeの様子
【「サービス」についての理解度はまだ低い】
ぼくたちがSao Pauloにいて最も頭を悩ませたのは、多くの店がシャッターを早く閉めてしまうこと。
レストランでも21時までやっていれば立派なほうで、大半はそれ以前に閉まってしまう(Paulistaエリアがどうなのかは不明)。
だから、毎晩夕食をとるのには随分と困らされた。
この厄介な問題に直面していたので、ぼくたち夫婦の間では観光地としてのSao Pauloの評価は著しく低かったし、もう1度訪れたいと思わされなかった。
妻はある店でバッグを買った。
Paulistaのそこそこ高級なセレクトショップで買ったのだけれども、なんとお釣りがないといって大騒ぎしている。
たったの20Real程度のおつりがないということで隣近所の店へ両替に行くもどこからも断られる始末。
しかも、ぼくたちがその店を訪れたのは午前中(午後であれば売り上げによってはお釣りがないということはあり得るが…)。
こうした出来事にはこのショップだけでなく、いくつかの店でも遭遇しその度に待たされたものだ。
「あ、そういうものか」と思えばそれまでのことだけれども、やはりそれなりの店であるならきちんとお釣りぐらいは用意しておいてもらいたいものだ。
【携帯電話大国】
ここSao Pauloでも携帯電話ショップに足を運んで、どれくらいの値段で端末が販売されているのかをチェックしてみた。
場所はPaulistaにあるVivo!(ブラジルのキャリア)。
店内には、Samsung、Motorola、Nokia、LGの端末がそれぞれ並べられていた。
199Realから最も高いものでは1,999Realのものまで実に幅広い価格帯で販売されていた。
そして、すべての機種には分割払いをした場合の価格まで表示されていた。
携帯電話端末を分割払いにしてまで購入するということはそれほどない日本人のぼくにとっては、少々違和感のある表示のされかただ(他の南米諸国でも同様に分割払いを表示)。
すごく意外だったのは1,999Realもする端末を販売しているのが韓国のLGだということ。
ぼくにとってLGはローエンドメーカーのイメージだったので。
携帯電話端末にこれほどまでの値段をかけるのは、途上国でありながらもこれから爆発的な経済成長が見込まれる兆候なのだろうか(中国でも驚くほどの高価格端末が売られているらしい)。
Brasilの携帯キャリアvivo
TVCMではReal Madridに鳴り物入りで入団したRobihnoが。
LGがハイエンド?
【Fit大人気!】
街中を見ていると、HondaのFitを最も多く目にした。
その他の日本車メーカーの車についてはそれほど目にすることはなく、とにかくFitが多かった印象を持っている。
特にPaulistaではその多さが際立っていた。
路上駐車するには、Fitのコンパクトさは重宝している?
そのほか、目にしたのはFiat、VW、Mercedes、Peugeot、Renault。
日本ではほとんど目にすることのないChevroletの車も多く走っていたことが印象的(タクシーにも採用)。
【首痛にはご注意】
ブラジルはアートでも熱い。
アートの1つとして、ぼくは建造物に大変興味を持っており、ここSao Pauloでもいろいろなビルを見あげて写真を撮った。
その中からいくつかのビルを。
ブラジルの銀行itau
HSBCが入っているPaulistaのビル
【その他写真】
ヤクルトおばさん
ブラジルにもヤクルトおばさんがいた!
BioDiesel
ガソリンスタンドではバイオエネルギー商品を販売。
Kia Motors
日本ではなじみの薄い起亜の看板広告。
ときどき車も目にした。